オープンガーデンの歴史

わが国におけるグループ活動としてのオープンガーデンの黎明期に立ち会った者の1人として、私の知る限りの歴史を記録しておきたい。


1998年10月「オープンガーデンいわて」「オープンガーデンみやぎ」「伊豆オープンガーデン」の立上げ
たまたま期を一にしたこの3団体の旗揚げが、わが国のオープンガーデン活動の嚆矢であったとずっと考えていた。
今回データを集めてみて98/10以前にスタートしたオープンガーデンもあることを知った。
それ以前の胎動期間もあったと考えるべきなのだろう。ただし殆どが個人活動だったようだ。


「伊豆オープンガーデン」の歴史
「伊豆オープンガーデン」の発足当初からの経緯が記録がされている。他クラブの記録より詳しく掲示されていると思われるので参照されたい。
伊豆オープンガーデンの歴史


初の全国オープンガーデン集合
2001年3月、全国からオープンガーデン・グループ8団体が東京に集合し、一部マスコミが取材した。
これは当時東京農大の学生であった相田明氏の肝いりによるものであった。
この時集まったのは、「オープンガーデンいわて」「オープンガーデンみやぎ」「オープンガーデンいわき」「オープンガーデンクラブ東京」「伊豆オープンガーデン」「小布施オープンガーデン」「お庭を公開しようの会(浜松)」「チェルシークラブ(大分)」である。
内容はこちら オープンガーデン研究会報告2001・3・30


なぜ全国組織が出来なかったかについての考察 
せっかく各地の団体が一堂に会し、今後の連携を約束したのに何故全国連絡組織が出来なかったかについて考察したい。
1.集合の呼びかけ人(相田明氏)が学生で、その後の推進を引受ける立場になかった。実際相田氏がその後動くことはなかった。
2.集まった各団体は初対面でお互いにお互いを何も知らなかった。加えてそれぞれが手探りでオープンガーデン活動を始めたばかりで、周囲や全体に眼を配る余裕がなかった。情報はどうしても欲しいから<今後の連携を約束>したのだが、それについて具体的に何を語ることも決めることもしなかった。
3.地方から集まった我々からすれば、やはり東京が中心であった。何か動きを起こすにしても発信するにしても、それは東京からだろうとの暗黙の思いがあった。
  しかしオープンガーデンクラブ東京は他の7つの団体と違ってオープン庭の集まりでなく、毎年オープン庭を募集しなければオープンガーデン活動が継続しない状況にあった。これは大変なハンデイキャップであったと思う。
  結局東京のクラブは動くことなく、オープンガーデン活動の全国組織は実現していない。
4.2003年5月、マルモ出版より「全国オープンガーデン・ガイドブック」が発刊された。この時がオープンガーデンの全国組織を作る1つのチャンスだったのだが、マルモの編集部に「オープンガーデンはグループ活動である」との認識が乏しく、その動きにつながっていない。


「オープンガーデンについて」
この頃オープンガーデンについての紹介記事、解説記事が園芸雑誌等に多出したが、この特集記事はその代表格である。素晴らしい記事なので再掲する。

「オープンガーデン」を訪ねてみませんか


相田明氏の論文
2000秋から2001春にかけて、当時東京農業大学地域環境科学部造園科学科の学生であった相田明氏が全国のオープンガーデン組織の聞き取り調査を行った。相田氏の許可を得てここに引用する。
「日本におけるオープンガーデン開催団体の現状」相田明  
東京農業大学造園論集別冊No.8(2004/3)の第5章
5年を経過した現在からみれば予測通りにはいかなかった点もあるが、その当時の貴重な記録である。


「NGS-JAPAN」の動き
わが国でのオープンガーデン活動の初期、多くの人がオープンガーデンのことを知らず、その人たちに説明するのにイギリスのオープンガーデン活動を紹介し説明した。
日本中のオープンガーデンが「イギリスのオープンガーデンをモデルとして・・・」と言っているなかで、NGSフォーシャム会長と個人的な繋がりのある谷口多美江氏がまるでNGSの日本支部のように「NGS-Japan」を立ち上げたのは衝撃であった。
その動きを当サイト内<グループの紹介>に記した。


行政主導オープンガーデン団体の多発


マルモ出版による「全国オープンガーデン・ガイドブック」(2003・5)の発行


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