伊豆オープンガーデン庭巡りバス


4月から6月にかけて、延べ16台の庭巡りバスを運行する予定です。
特に一斉公開日の5月12、13日には3台づつ出します。
個人の庭なのでマイクロバス(20人乗り)です。
伊豆ガーデニングクラブ会員のガイドが添乗します。
朝10時半にJR伊東駅前を出て6、7軒の庭を巡り、16時頃伊東駅に戻ります。
バスにより巡る庭が異なりますので、お問合せ下さい。
費用:3400円(TEAS代含む)
問合せ:東海バストラベル伊東営業所 0557−36−1611

オープンガーデンフォーラム・浜松

pccgarden2007-03-18

昨日、「オープンガーデン・フォーラム in 浜松」に出席した。
浜松駅直近のフォルテホール(市民会館?)で開かれ、抽選で当たった600人で会場は一杯だった。

浜松市長が冒頭挨拶をし、静岡文化芸術大学鈴木元子教授による「イギリス花紀行」の講演、須磨佳津江氏と今年の「花いっぱいコンクール」入賞者5名によるパネルデイスカッション、「花と緑のまち・浜松」推進市民協議会の阿蘇裕矢会長(静文芸大教授)の講評などがあった。


私はこれまで「静岡に伊豆オープンガーデンあり。}と気張ってきたが、もうこれからは「静岡のオープンガーデンは浜松です。」と言うことにしよう。
浜松の花活動にはとても敵わない。伊豆とは器の大きさが違う。


違うところを列挙する。
1.人口が違う。庭の数が違う。新幹線が止まる
  浜松の人口は82万、伊東は7万5千である。
2.「花と緑のまち・浜松」の標語と、こんな会合への市長の出席
  伊東では「花と海といで湯の街」の標語がいつの間にか消えてしまった。
3.「浜松ガーデンパーク」の存在
  花博の跡がそのままガーデンパークとして維持されている。
4.「花いっぱいコンクール」「ガーデンマスター制」などの施策
5.「花と緑のまち・浜松」推進市民協議会の存在
6.地元に静岡文化芸術大学があり、静岡大学豊橋技術科学大学愛知大学などとも近い
7.70ページの「オープンガーデン・ガイドブック」をカラー印刷で1500部作ってくれる経済力


せめて伊豆の勝っているところを考えてみた。
1.地形が起伏に富み、海が見える
2.東京からの距離はこちらの方が近い
3.わりに広い庭が多い
4.少し歴史が古い
こんなところか。


ないものねだりはやめて、出来ることを真似するとしようか。
推進協議会とか、花のコンクールとか。
またまた疲れることだけど。

庭巡りバスの準備

伊豆オープンガーデン巡回バスの準備を進めている。
昨年延べ11台出したバスを今年は16台の予定である。
個人の庭なので大型は入れず、20人乗りのマイクロバスである。

コース設定は神経を使う大変な作業だ。
・マイクロバス進入可、駐車可
・TEAS庭を昼ごろに組み込む(20人が雨でもTEAS出来る庭は限られる)
・途中トイレ場所の組み込み
・複数のバスがかち合わないように
・各庭に公平に巡るように(お客さんはいい庭ばかり見たがる)

東海バス側も大変だ。
・車両の確保(マイクロバスは4台しかない)
・運転手の確保(ピーク時の4月20−23日はフジサンケイゴルフとかち合う)
・予約受付、当日受付体制
・PR活動
・5月ゴールデンウイーク中は道路混雑で運行できない(庭側もやりたくない)

幹事と東海バスで一応予定はたてた。
これから各庭を集めて実際の準備を始める。
各バスに乗って説明するガイド役も確保しなければならない。
これから巡回バス以外の団体訪問も出てくるだろう。

追記
ご心配をかけた「お庭案内」の印刷は完了した。
ネットで見つけた新橋の印刷屋が安くカラー印刷してくれて助かった。
ホチキス留めも済ませて完成したが、今年は「伊豆高原散歩MAP」が遅れている。

伊豆オープンガーデンの「お庭案内」製作

伊豆オープンガーデン「お庭案内」の印刷を伊東市役所から断られたことを先に書いた。


その後、観光都市伊東における「伊豆オープンガーデンの存在意義を力説し、市会議員を通しての陳情?を行ったりして、結局次のように決まった。
1.カラー印刷は出来ない。
2.白黒印刷は続行するが、用紙を持参せよ。


ここで「お庭案内」の製作について述べておこう。
冊子「お庭案内」は9年前のスタート時より作っている。
原稿制作は一貫して森下がやっている。いけないと知りつつ、全庭を掌握している状況、作成時の時間的制約などから合議制、あるいは他人に任せることが出来ないできた。
やっと今年からホームページのオープンガーデンの部分を担当幹事を委嘱することになった。今後もっと分担を進めなければいけない。

内容は、
1.表紙、裏表紙の表裏にタイトルや伊豆ガーデニングクラブの説明など
2.巡回の仕方など、説明ページ。
3.各庭の情報 名前・住所・電話・訪問条件・庭の特徴・庭主コメント・地図 など
4.これに各庭の写真をカラーページに集中して掲載している。


当初、会員が手分けしてコンビニでコピーしていた。約30ページを300冊作ると9000ページのコピーである。1部10円で9万円。労力的にも金額的にも大きな負担だった。コンビニの邪魔にならないよう、深夜にコピーとりに行ったりした。
この金の出所はないから会員が負担したのであった。カラーページなど望みうべくもなかった。
4年前から市で印刷を引受けてくれるようになり、3年前からカラーページを加えることが出来た。
とは言いつつも、コピー印刷物である。部数も400部である。他の行政主導のオープンガーデンが立派な印刷物を作っている中で肩身の狭い思いであった。


こうして一息ついているところに今回の騒動だった。
広報なくして組織としてのオープンガーデンは存立しない。広報の原点が「お庭案内」である。
今更コンビニコピーに戻れない。


しかし、<世の中は進歩する>というか、<窮すれば通ず>というか、<努めてやまざる者は救われる>というか、必死で探して、かって白黒コピーだけで9万円かかったコピー印刷を3割程度でやる東京の格安業者が現れたのである。6ページのカラー印刷も3万円程度で出来る。
なんとか自力で頑張れる。その資金の捻出は・・・
と考えているところに、市も歩み寄ってくれた。


自力で進んで行くことの自信がついた気がする。

行政の補助

伊豆オープンガーデンは個人の庭を一般に開放し、庭や花を楽しんでもらう社会事業である。
開始以来9年になる。
各庭の負担は経済的に、肉体的に、時間的に、非常に厳しいが、みんな頑張っている。
庭の入場料はない。すべて庭主の負担である。


唯一、毎年400部発行する「お庭案内」と「庭巡りガイド」の印刷を伊東市役所の印刷機でやってもらっている。
よそのオープンガーデンから<そんな援助しかないの?>と吃驚される。
その印刷を、厳しい財政事情で<今年からやれない>と言ってきた。


どうしたものか。
告知活動がなければ社会活動としてのオープンガーデンは存在しないに等しい。
「お庭案内」はマスコミ、バス会社等への告知活動の源泉である。
我々に印刷代を捻出するファンドはない。

庭を採点する

今とんでもないことを考えている。
オープンガーデンを中心にあちこち庭を巡るが、その一つ一つに点を付けようというアイデアだ。
コンテストではない。各地に散在する庭の絶対値比較である。


かねてその必要は感じていた。
いいとか悪いの印象批評ではなく、絶対値での採点が欲しいと思っていた。
例えば他所の土地の人に「伊豆オープンガーデンのどの庭を見たらいいか?」と聞かれて、なんとも答えに窮する。
イギリスの名庭でも日本庭園の名園でも、長い歴史の中でそれなりの評価が定まり、いろんな解説も多い。
しかし得体の知れない訳の判らない個人の庭を、しかるべき解説もなしに「どうぞ見に来て下さい。」と言うのはまことに申し訳ないことだと思っていた。
京都に行くにも伊豆に行くにもそれなりに時間と運賃がかかるのだ。


狭いなら狭いなりに、未熟なら未熟なりにその度合いを数値として提供すべきではないか?
もちろん良い所も数値で現す。
それが情報公開ではなかろうか?
それを判った上でお客さまが来てくれれば嬉しい。
京都の名庭に及ばずとも、それでも個人の公開する庭に来て下さる方がいるはずだ。


反論も多いだろう。
<点を付けるのなら私はオープンガーデンに参加しないわ>
<好きでやっていることなのに、どうして他所と比較されなければならないの?>
<そんな採点、誰がするの?>
<採点基準があるの?>
<そもそも他人の作っている庭を採点するなんて、倫理的に許されるのか?>


まことに困難な道である。
この道を切り拓くことは私には出来ないかもしれない。


私が敢えて「庭に採点する」ことを考えたのは、「ワインの帝王−ロバート・パーカー」という本のことを知ったからである。
パーカーは彼の知るすべてのワインを100点満点で採点し公表しているという。
味覚の分野で絶対値の評価が出来るのなら、庭巡りの分野でも評価が出来るのではないか?
いや、やらないのは怠慢ではないか?
私は酒を好まず、ワインを嗜まないのでこの本を読んでいない。
しかしそこにワイン評価の採点基準が記されているなら読まねばならない。


世の中には多くの採点競技がある。体操。フィギュアスケート。飛び込み。シンクロ。スノーボード。ジャンプ。馬術。・・
これらの採点基準は参考にならないか?
世にグルメ評論は多い。そこに採点基準はないのか?


まずなすべきは庭を評価する採点基準項目の作成であろう。
道は遠い。
どうか大方の皆さまのご教示、ご指導をお願いしたい。

  オープンガーデンの歴史

わが国におけるグループ活動としてのオープンガーデンの黎明期に立ち会った者の1人として、私の知る限りの歴史を記録しておきたい。


1998年10月「オープンガーデンいわて」「オープンガーデンみやぎ」「伊豆オープンガーデン」の立上げ
たまたま期を一にしたこの3団体の旗揚げが、わが国のオープンガーデン活動の嚆矢であったとずっと考えていた。
今回データを集めてみて98/10以前にスタートしたオープンガーデンもあることを知った。
それ以前の胎動期間もあったと考えるべきなのだろう。ただし殆どが個人活動だったようだ。


「伊豆オープンガーデン」の歴史
「伊豆オープンガーデン」の発足当初からの経緯が記録がされている。他クラブの記録より詳しく掲示されていると思われるので参照されたい。
伊豆オープンガーデンの歴史


初の全国オープンガーデン集合
2001年3月、全国からオープンガーデン・グループ8団体が東京に集合し、一部マスコミが取材した。
これは当時東京農大の学生であった相田明氏の肝いりによるものであった。
この時集まったのは、「オープンガーデンいわて」「オープンガーデンみやぎ」「オープンガーデンいわき」「オープンガーデンクラブ東京」「伊豆オープンガーデン」「小布施オープンガーデン」「お庭を公開しようの会(浜松)」「チェルシークラブ(大分)」である。
内容はこちら オープンガーデン研究会報告2001・3・30


なぜ全国組織が出来なかったかについての考察 
せっかく各地の団体が一堂に会し、今後の連携を約束したのに何故全国連絡組織が出来なかったかについて考察したい。
1.集合の呼びかけ人(相田明氏)が学生で、その後の推進を引受ける立場になかった。実際相田氏がその後動くことはなかった。
2.集まった各団体は初対面でお互いにお互いを何も知らなかった。加えてそれぞれが手探りでオープンガーデン活動を始めたばかりで、周囲や全体に眼を配る余裕がなかった。情報はどうしても欲しいから<今後の連携を約束>したのだが、それについて具体的に何を語ることも決めることもしなかった。
3.地方から集まった我々からすれば、やはり東京が中心であった。何か動きを起こすにしても発信するにしても、それは東京からだろうとの暗黙の思いがあった。
  しかしオープンガーデンクラブ東京は他の7つの団体と違ってオープン庭の集まりでなく、毎年オープン庭を募集しなければオープンガーデン活動が継続しない状況にあった。これは大変なハンデイキャップであったと思う。
  結局東京のクラブは動くことなく、オープンガーデン活動の全国組織は実現していない。
4.2003年5月、マルモ出版より「全国オープンガーデン・ガイドブック」が発刊された。この時がオープンガーデンの全国組織を作る1つのチャンスだったのだが、マルモの編集部に「オープンガーデンはグループ活動である」との認識が乏しく、その動きにつながっていない。


「オープンガーデンについて」
この頃オープンガーデンについての紹介記事、解説記事が園芸雑誌等に多出したが、この特集記事はその代表格である。素晴らしい記事なので再掲する。

「オープンガーデン」を訪ねてみませんか


相田明氏の論文
2000秋から2001春にかけて、当時東京農業大学地域環境科学部造園科学科の学生であった相田明氏が全国のオープンガーデン組織の聞き取り調査を行った。相田氏の許可を得てここに引用する。
「日本におけるオープンガーデン開催団体の現状」相田明  
東京農業大学造園論集別冊No.8(2004/3)の第5章
5年を経過した現在からみれば予測通りにはいかなかった点もあるが、その当時の貴重な記録である。


「NGS-JAPAN」の動き
わが国でのオープンガーデン活動の初期、多くの人がオープンガーデンのことを知らず、その人たちに説明するのにイギリスのオープンガーデン活動を紹介し説明した。
日本中のオープンガーデンが「イギリスのオープンガーデンをモデルとして・・・」と言っているなかで、NGSフォーシャム会長と個人的な繋がりのある谷口多美江氏がまるでNGSの日本支部のように「NGS-Japan」を立ち上げたのは衝撃であった。
その動きを当サイト内<グループの紹介>に記した。


行政主導オープンガーデン団体の多発


マルモ出版による「全国オープンガーデン・ガイドブック」(2003・5)の発行


∞∞∞∞∞∞∞∞∞